ただの日記

数日にいっぺんの更新だと、書くことが増えるかと思ったけど、別になんにもないな。面白味のない人生だ。
↓の写真は、20日深夜の大風で倒れた井之頭公園の木。

●3月19日(金)
夜、千駄ヶ谷のメディア総合研究所で細馬宏通さんの「初期アニメーションの世界」を聴講しに行く。一回目は行けなかった。今日は二回目。初期アニメーションが身体と密接に関わりがあったこと、それをヴォードヴィル芸人たちとの関係で紹介したのが一回目だったらしい(おさらい)。フライシャー兄弟が、「口」とのシンクロをスペクタクルとして注目したというくだりは単純に「おお」と興奮した。あと映画史について、俺は不勉強であることを痛感。最初のトーキーってなに?と尋ねられたら、俺は有名なあのタイトルしか答えられないもん。三回目は4月9日。是非行きたい。

不意に思い出したことを追記。この写真の近く、代々木駅そばの踏切で俺が8ミリを撮影していたとき。あれは……たぶん93年か。その頃好きな女の子を撮影にかこつけて呼び出して、台本もないのに撮影をしていた。と、それを見かけたちょっと年上の男性が、「8ミリ? 映画撮ってるの? 僕も映画やってるんだよね」と声をかけてきた。話を聞くと、大嶋拓という監督だった。俺は観たことないけど、名前は知っていた。確かPFFで賞とった人だよな……と。その後、俺も97年に賞を貰うけど、大嶋監督との接点はまったくない。この日、踏切を渡っているときに不意によみがえった記憶。それだけのこと。
●3月20日(土)
荻窪の福祉事務所に行ったが、休みだった。無駄足。調べて行けよ、俺。DVDで『由美香』。華恵の『たまごボーロのように』読了。成長のリアルタイムでこうして作文が世に出るというのはどういうことなんだろう、と興味深くなる。きっと俺の知らないところで、ブログなんかでは無名の子どもたちのリアルタイムの感情の吐露がなされているのだろう。「わかったような顔」で書いてないから、読んでるこっちもドキドキしてしまう。いつか「書けなくなってしまう」という体験に直面するのではないか、その後どうやって「また書き始める」のか、その瞬間に立ち会ってみたい。こういうことを考えているとき、いつも深沢七郎正宗白鳥に「なにを書いてもいい」と言われて恐怖した、というエピソードを思い出してしまう。

たまごボーロのように
華恵
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●3月21日(日)
神保町の学士会館で友人の結婚式と披露宴。こじんまりとしたいい会だった。修了後、近くで自主的に二次会。新郎新婦もあとから来てくれた。初対面の女の子に「おみやげ」としてビンタをもらった。なんだかなぁ。Nさんにはずっと「脱げ脱げ」言われてたし。最近、すっかり仲間内ではそういうキャラだ。
●3月22日(月)
DVDで『すてきな片想い』。家人と一緒に井之頭動物園に行く。桜が少しだけ咲いていた。シノプシスを書く。日高敏隆セミたちと温暖化』読了。