中央線監督日和

VHSで『デモンズ'95』を観る。素晴らしい映画。美しい。映画を観ているのか夢を見ているのかわからなくなってしまう。ミケーレ・ソアヴィ、イタリアの監督で最初に好きになって名前をおぼえた監督だ。『アクエリアス』を観直そうかな。なんとなく『ゾンゲリア』も観たくなってしまった。
夕方、ちょっと用事があって阿佐ヶ谷で西村監督に会う。井口監督のイベントの前にちょこっとお邪魔させてもらった。その帰り、駅で樫原監督に会う。
夜、贅沢をした。家人の誕生祝いで新宿カニ道楽へ。
その後、また阿佐ヶ谷へ。『ロボゲイシャ』イベント最後のほうだけ顔を出す。ロフトAの佐々木さんにイベントの提案。その帰り、電車の中で村上監督に会う。チラシもらったので映画観に行かないと。
今日は中央線監督日和だな。
数日前からどうしても読みたかったので、吉祥寺パルコの地下でECDの新刊『暮らしの手帖』を買う。移動のあいま、喫茶店の中、とぎれとぎれに読む。雑誌掲載時にも読んでいたけど、こうしてあらためて読むに足る小説だと思う。一行一行丁寧で、嘘がない。DIYの精神で音楽に関わること(関われる時代に生きること)っていうのは、決して気楽なんかじゃないんだ、と僕は次のような一節に敏感に思ってしまう。いま映画を作る人間にも通じる気持ちだと思う。ECDが中学生のときのエピソードだけど、これは現在の話だ。

帰り際、カワバタ君はニール・ヤングの「孤独の旅路」というシングル・レコードを「もう聴かないから」と僕に譲ってくれた。二―ル・ヤングのレコードはA面もB面も最初は僕の求める音とは違うと感じた。けれど、とにかく、今、自分の手元にレコードがあり、いつでも好きな時に聴くことができる。そのうれしさに何度も何度も繰り返して聴かずにはいられなかった。良さがわからないのは聴き方が足りないからだ。この曲の中にもどこかに自分と繋がる部分があるはずだ。そう、わらにもすがる気持ちで聴き続けた。そうしないと音楽から自分が見離されるような気すらした。

音楽も映画も小説も……いつでもそこにあると思ったら大間違いだ。きっと僕らがぼやぼやしてしまっていたら、人類なんか簡単に見離されてしまうに違いない。

暮らしの手帖
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