ぐったり

タイプの違う企画を同時進行で考えていると、なんというか「モード」を変えるのに一苦労する。そういうときどうするか。とりあえずその作品の方向性に近いと勝手に想像するなにか(小説・マンガ・映画・音楽……)を思い浮かべる。で、今日はずっと石川賢のことばかり考えていた。
小林篤『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』読了。いまとなっては、菅谷さんが無実であることが証明されてしまっているので、すべてをその「事実」へ向けて解釈して読んでしまうが、この本が書かれたときはまさに再審請求の最中だった。そのことを想像しながら読み、暗澹としてしまった。決して警察のように予断で事実を選択するまい、という強い意志がページにみなぎっている。だからこそ、不安な気持ちになりながら読んでしまう。警察の欺瞞は明らかにされる。だが菅谷さんが本当に無実であるかどうかの確信をどうやって得ればいいのか。ほとんど最後のページまで、その迷いがうっすらと靄のように記述のあいまに漂っている。その誠実さゆえに、怖い。無残な事件があった、ということだけが明らかな事実であることを突きつけられてしまう。つまりこの薄くはない一冊の本を読みとおしても、真犯人には行きつかない、という事実が徒労感として残ってしまう。救いは、いまこれを読む僕が、菅谷さんが無実として釈放されたことを知っていることくらいか。しかしこの本を上梓したとき、著者はどんな思いだったのだろう。
夜、なんとかシノプシスを書く。
ようやく「ナイトスクープ」を送ってもらったDVDで見る。恥ずかしかった。ぐったりして寝る。