勉強

羆嵐』、ラジオドラマにするにあたって原作をどう改変しているか、気づいたポイント。
・出だし。生存者が取材者に話をする、というふうに変更している。
・斎田というキャラクターを前半で大きくフィーチャーしている。彼と妻の睦言からドラマ本編は始まる。斎田の妻が羆に殺されたあと、彼が北海道に入植することを妻に相談する回想が入る。
・銀四郎というキャラクターの紹介の仕方。島川の嫁に抱きついたのを見たことある、というセリフが追加されている。島川の妻が襲われたのを知ったとき、銀四郎を疑った、と言われる。
・退治した羆の肉をみんなで食う場面。原作でも最初村人たちはそれを拒否する。が、銀四郎が「しきたりだ。仏の供養だ」と言って、みんな納得する。ラジオドラマでは「供養」の対象が羆になっている。その発言に村人たちは猛反発する。おそらく聴取者もそう感じるのではないか。人を食った羆の供養って……と。すると銀四郎は、「この土地に先にいたのはどっちだ!」と村人たちに罵声を浴びせる。村人たちを脅すために発砲もする。そして原作にもあった、「お前たちは汚い、ずるい」というセリフにつながる。この変更によって、銀四郎の存在が神話的な雰囲気を帯びるようになっている。原作にもあった人間と土地との関係というテーマが強調されているのと同時に、羆が村人たちにとって死神であるように、銀四郎も「死の側」の存在として描かれている。銀四郎のキャラクター、いまどきならエコロジー的な解釈をされてしまうかもしれないが、原作もラジオドラマも、死を単に忌むべきものとして排除するのではなく、それも生の一部であることを受け入れる存在として描いている。そのへんに凄みがある。
・ラストの区長のセリフ。羆を撃ったときの銀四郎の表情について、「生きてる面じゃなかった。おら、あの面忘れられねえ」とつぶやく。原作では、セリフではなく地の文章で表現されている。
夕飯は、小アジのフライ、とろろ芋、谷中生姜、大根と人参の味噌汁。
夜、阿佐ヶ谷ロフトでSPOTTED7012周年記念イベント。