リアルな悪夢

バウスで『かいじゅうたちのいるところ』を観た。これは本当の悪夢(見たいと思う描くような夢ではなくて、自分の意思と無関係にそこに巻き込まれてしまうような夢)を描いた……というか、悪夢そのものの映画だった。母親と喧嘩したマックス少年は、大洋を渡ってかいじゅうたちの住む孤島に辿り着く(あそこで空手バカボンの「から笑う孤島の鬼」をかけてもいいな)。物怖じせずにかいじゅうたちに向かって自分は王だと宣言するマックス。このあたりは、嫌な現実から逃避する心地よい夢の様相を見せる。自分よりも何倍も大きなかいじゅうたちの尊敬を集めるのはなんと気持ちのいいことだろう。現実では母や姉は自分の言いなりになってくれないのだから。でもかいじゅうたちはマックス以上に幼稚な存在で……特にマックスと親友になるキャロルの幼稚さはマックスですらもてあましてしまうほどだ。実は王であるということは、マックス自身の夢をかなえることに結びつかず、かいじゅうたちの夢をかなえる責任重大な役割である、ということは結構最初のうちにつきつけられる。王にふさわしくなければ、食われてしまうかもしれない、という恐怖。最初のうちはマックス自身の欲望とかいじゅうたちの欲望が一致するからいいものの、映画の後半になってくるとそれがちぐはぐとなり、マックスは王としての信頼を失ってしまう。この場面! 僕がよく見る悪夢にそっくりでゾッとしてしまった。「お前は王なんかじゃないないじゃないか」。マックスはなんとか自分の権威を保とうと、魔法の踊りをおどってみせる。それは前半でバイキングを配下に従えた話をしたときと同じふるまいなのに、かいじゅうたちはもうだまされない。魔法はとけてしまっている。
マックスとキャロルは双子のようだ。そのことが更に悪夢度を増している。マックスは自分自身の中のかいじゅうをもてあまして、困惑している。こいつと一緒にいる限り、世界とは和解できない。そんなことを、あんな小さな子どもに強いるなんて……なんて残酷な映画なのだろう。まるで『いやいやえん』の悪夢のようじゃないか。
ところで、映画のけっこう前半のほうで、マックスは人間の骨らしきものを発見し、かいじゅうたちに尋ねる。「これはかつての王たち?」。どうやらそうであるらしい。では、かいじゅうたちに食われた王たちは、どんな子どもたちだったのだろう、と気になって、唐突に頭に浮かんだのは、ヘンリー・リー・ルーカスという名前だったんだけど、どうしてその名前が浮かんだのかは自分でもよくわからない。