演出って難しい

選挙に行く。
そば屋で昼食。散歩ついでに夕飯の買い出し。
チンジャオロースで使った豚肉が余っているので、生姜焼きを作る。野菜も欲しいので、タケノコ・里芋・人参・シイタケの煮物。干しシイタケを水で戻して、その戻し汁に醤油・みりん・砂糖を合わせ、圧力鍋で煮る。圧力がなくなるのを待つあいだに凍み豆腐を湯で戻して、その後煮物に投入。
夜はずっと原稿書き。でもまだまとまらない。うまく書こうとするからいけないんだよな。
昨日の講評で井川さんと西山さんが言っていたことは大事なので、記憶を頼りに、俺の解釈も含めてメモ。
・セリフとは、他者への働きかけだ。しかし内面の吐露になってしまうことがままある。
・内面の吐露になると、それは作品解釈の説明になってしまう。
・作り手も役者も、すでにシナリオによって作品がどう進行するか知っている。だから作品(人物)解釈の説明に堕してしまうことがある。
・しかしそうではなく、まさに目の前で起きつつあるように演出し、演じなくてはならない。あるセリフが内面の吐露になってしまうと、すでにセリフの解釈がそこに含まれてしまっているので、受ける側の役者は「ああ、そうなんですか」としかリアクションできなくなってしまう。つまり「働きかけ」がない。
・西山さんは、そういう事態を回避するために、声のトーンを抑えるように指示する場合がある、と言っていた(しかし常にそういうやり方ではないし、失敗することもあるとも言っていた)。
西山さんの発言を聞いて、なるほどね、と思った。音声的な抑揚を調整することで「この人はなにを言おうとしているのかな? 私になにをさせようとしているのかな?」と受け手の役者に思わせる、という戦略があるんだな、と理解したから。他人は常に謎めいた存在としてこちらに呼びかけてくる。まあそれは俺が横で聞いていた解釈だけど。
他者論だな。
俺はどうだろう。
俺は以前子役たちに「きちんと相手のセリフを聞かないとダメだよ」と言って、相手の言葉に反応することをしつこく求めたことがあった。でも戦略に欠けていたな。セリフを発する側の言葉を俺はきちんと「他者の言葉」としてコントロールしていたかな。
あるいは11期初等科の演出実習では、声を相手に届けようとしないWに対して、「ためしに遠くに立ってそこから相手に呼びかけるように言ってみろ」と指示をしてみた。実際に距離を作ることで、呼びかけざるをえないようにしてみた。その感じをつかんでもらってから、距離を縮めて同じようにセリフを言ってもらった。が、このときはうまくいかなかった。
あ、いま書いていて思い出したのは、昔撮った8ミリ映画の現場での演出。女の子が男の子に「のど乾いちゃった」という場面。俺は女の子に、「現実ではありえないくらい近づいて耳元で言ってみて」と指示を出した。テストでも本番でも、女の子は「ありうる」距離でセリフを発したので、俺は何度かNGを出して「もっと近づけ」と指示を出した。で、結果として男の子のほうが非常に照れてしまって、「慌てて立ち上がる」というシナリオに書かれていたアクションを自然と引き出すことができたし、その照れた様子を見て女の子も自然と微笑みを浮かべていた。「××君、かわいい」というような。
当時もいまも、俺は現象学の影響下にあるな。

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