笑ってばかり

美学校のゼミ。誰か他人の企画を読むことが一番勉強になる。生徒に教えてもらっている感じがする。そのことに生徒が気づいてくれるといいんだが。
9期生と飲む。馬鹿馬鹿しいエピソードばかりで楽しい。が、本人たちにとっては真剣な人生の問題なのだろう。それが伝わるから、ますます笑ってしまう。俺は本当にひどい人間なんだな。
そういう若い衆に対する態度で、俺はあえて「がさつな大人」になろうとしているところがある。「ナイーブな若者」がとても嫌いだ。なんでかって言ったら、自分がそうだったから。そこから脱却したいという思いが、若い衆に対する攻撃性としてあらわれてしまう。ごめんね。
ということを、よしもとばななの本を読んでいて、ふと思った。
無差別の毒物混入事件の、被害者にたまたまなってしまった主人公がいて、彼女が出版社の社員だったというだけで好奇心旺盛な作家にその事件のことを尋ねられてしまう場面。

「君か、あの、毒物混入事件の犠牲者は!」
その四十代半ばの作家の先生には全然悪気はなかったし、初対面の私と話題を作ろうとしてくれえたのだと思うけれど、盲腸で休んでいる担当者の代わりにおつかいで原稿を受け取りに行っただけなのに、わざわざ家に招き入れられてそれを連発されると、さすがに冷や汗が出てきた。

自分がある年齢を超えたときに、若い年代の人間たちの感情を想像しようとして、自分の若い時分のことを基準にしてしまうのだろう。そういう種類の、自意識過剰ぶりを想像してしまった。
「あえて」「がさつに」ふるまうことが、誠実であるかのように想像してしまう、ということはあるのだと思う。それが、「その四十代半ばの作家の先生には全然悪気はなかった」という一文に表れている。人は、そういうふうに、誠実に善意でふるまおうとして、思いがけず他人を傷つけてしまう。「思いがけない」からといって、それは許されない。
そして、相手の悪意のなさが強く伝わってくるにもかかわらず、許せない。
そのとき、傷つきつつ、困惑してしまう。
そういう感情を表現できるのが、小説なのかな。と、電車の中で思った。

デッドエンドの思い出 (文春文庫)
よしもと ばなな
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