可哀そうな記号

初等科。何人かの生徒による、同一の作品の別編集版を比較検討して、なにかを見つける共同作業。
色々と感想がわいたのだけれど、ひとつ思ったことがあった。
記号をなめるな。
あえて、画面に映っているものはすべて記号だ、と言いたくなった。観客になんらかの感情やら記憶やらを喚起する記号の群れ。それを作り手は意識して画面に配置しないといけない。でも、「たかが記号」だったり「しょせん記号」だったりしたら駄目だ。「これが一体どのような感情や記憶を観客に引き起こすのかわからない」と恐れるようでなくては駄目だろう。画面の中に、確かに「モノ」は映っているのだけれど、意味以上のものを背負わされていない記号ばかりで、俺は記号が可哀そうになってしまった。いや、記号になりそこねた残骸たち、というべきか。