僕の好きな本

今日の話にはオチはありません。
今日、本屋に行ったら沼正三名義の新刊本が二冊並んでいた。一冊は『異嗜食的作家論』。もう一冊は『懺悔録 我は如何にしてマゾヒストとなりし乎』。前者はかつて芳賀書店から「天野哲夫」名義で1973年に出版されたものの再版。新たに村田喜代子による跋文がつけられている。後者はまったくの新刊だ。

沼正三といえば、『家畜人ヤプー』の作者であり、長年その正体が謎に包まれていた覆面作家だ。近年はかつての「代理人」である天野哲夫がその正体であるとされている。いまだに議論のあるところだが、僕自身はあまりそのへんには興味はない。
家畜人ヤプー』との出会いは高校生のとき。最初は角川文庫版で読み、あまりに大きなショックを受けたために図書館や古本屋へ通って関連書籍を集めたものだ。神田の古本屋街に行き、そもそもそれが連載されていた『奇譚クラブ』というSM雑誌を探したり、色々なバージョンのある『ヤプー』を収集したりした(僕が持っているのは、都市出版社版の最初のバージョン*1、同じく都市出版社から出た箱入りの2000部限定版*2、その限定版と同内容の「改訂増補決定版」)。そして関連書籍を探しているうちに、続編が『血と薔薇』という雑誌に発表されていたことを知るが、その雑誌自体がカルト的な人気があって高田馬場の古本屋では全4冊で3万円近くしたので、高校生の僕は(大学生になっても)断念してしまったのだった(その後、『血と薔薇』は河出文庫から復刻が出たが、その復刻は澁澤龍彦が編集を担当した最初の3冊だけが対象だった。つまり「澁澤龍彦責任編集」というのが、『血と薔薇』の売りだったようだ)。がっかりした僕が次に探し求めたのは、『えろちか』という雑誌だった。その雑誌にも『ヤプー』の続編が掲載されていたらしい。その手のいわゆる「エロ本」を扱っている古本屋には、『えろちか』がよくあったから、僕はかなり楽観的にかまえていた。が、その続編が載っているはずの号だけが見つからない(結局、その号を見つけたのは2年ほど前の西荻でのことだった)。
読みたい。どうしても読みたい。なにしろ『ヤプー』は未完の小説だ。いや、実のところ、ストーリーとしては展開のない小説だ。ひたすら日本人男性にとってのマゾヒスティックな未来世界を描写しているだけだから、「設定だけ」と言っても過言ではない。しかしその性的妄想の広がり方には無限を感じることができた(『ソドムの120日』もそうかもしれない)。だから、一種の「終わらない読書」として『ヤプー』の続編を求め続けたのだった。
意外なところで、僕は続編を読むことができた。なんと当時現在進行形で連載が存在していたのだ。『S&Mスナイパー』。狂喜した僕は近所の古本屋でバックナンバーを買いあさったが、そんなエロ本を大量に買いあさる高校生を店主はどう思っただろう(ちなみにその直前に宮粼勤による事件が起きたせいなのか、ビニ本を買おうとすると年齢を尋ねられたのをおぼえている。「18歳です」と嘘をついたが、売ってもらえなかった。エロに関したは僕はぎりぎり「エロ本」世代に属するのか)。
購入した『スナイパー』を、なにを思ったか僕は当時の国語教師に見せて、「この雑誌はすごいですよ」と鼻息を荒くしていた。グラビアページには荒木経惟の連載が掲載されていた。なにも言わずに黙って僕の話を聞いてくれた先生には感謝している。とはいえ、僕はその先生には怒られないと確信していた。なにしろその先生、最初の授業で生徒に勧めた映画が『ピンクフラミンゴ』だったのだから。
その『スナイパー』での連載は、後にミリオン出版から単行本として出版された*3。いまでは正続合わせて幻冬舎アウトロー文庫で読むことができる。
続編については、ファンの間でも賛否がわかれている。正編だけを「真作」と呼ぶ極端なファンもいるほどだ。作者の正体探しもそのへんに関わる。
このあたりが、僕には不思議に思えてしまう。例えば、『ヤプー』はラヴクラフト創始者とされる「クトゥルー神話」のように二次創作が可能な作品ではないだろうか、と僕などは思ってしまうからだ。天野哲夫を作者と認めるにせよ認めないにせよ、彼の死後、誰も『ヤプー』を書こうとはしない。とはいえ、そういう僕は、自分には「書けない」と思ってしまう。もしかしたら誰も書かないのは、そういう思いを抱いてしまうほどに『ヤプー』の妄想力が強いからかもしれない。恐怖は人類に共通の感情だが、マゾヒズムは一部の性的倒錯者の感情でしかないのだから。
ところで、僕が映画にしてみたい、と思うのは、実は天野哲夫のエッセーで描かれた彼の実体験だ。白痴のふりをして神社で少女たちに意地悪されるようし向けたり、小間使いとして倉橋由美子の家に出入りして彼女にいびられたり(この出来事は、倉橋由美子の短編小説『マゾヒストM氏の肖像』のモデルになっている)、はたまた他人のくみ取り式便所の中に潜んだり……いやはや、真性のマゾヒストとはなんと難儀な人生を送るのだろうと読むたびに感動してしまうのだ。現在のように軽々しく自己紹介でSやらMやら言えるような時代では想像できないような、「異端者」としての苦悩の滑稽さは、なんというかドラマチックだ。
追記:というか訂正。上で『血と薔薇』に続編が、と書いたけど、『都市』別冊だ。『血と薔薇』には、単行本になる前の正編が載っていたんだっけ。『都市』別冊も西荻で買った。結局近所で色んなもの買えるんじゃん。

*1:金井美恵子奥野健男の解説/宮崎保之の挿絵

*2:村上芳正の挿絵

*3:奥村靭正の挿絵